ダイナマイト関西の引退理由とは?肺ガンや膠原病との闘い!引退後は何をするのか?


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どうも、猫が大好きなこぐまんです。今回は今日12月11日の後楽園ホールでの戦いで現役引退を発表した「ダイナマイト関西」選手の引退理由などを考察していきたいと思います。女子プロレスは昔からみていまして、この「ダイナマイト関西」選手は今年で現役30周年をむかえる選手でした。30年走ってきた彼女の最後の試合は、同期の尾崎魔弓選手。もちろんわたしも後楽園に明日行ってきます。


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突然の引退発表

1986年の8月にジャパン女子プロレスの1期生としてデビューしたダイナマイト関西。その後女子プロレス団体の「JWP」の旗揚げに参加。アジャコングとの抗争など、第2次女子プロレスブームの黄金期を支えたひとりでもあります。2016年の3月20日のOZアカデミー後楽園大会にて、突然の引退発表をしました。

この日、ダイナマイト関西は、かつて付き人だった倉垣翼と米山香織が持つOZアカデミー認定タッグベルトに挑戦しました。しかし、倉垣からフォールを奪われ、ベルト奪取はできませんでした。試合の後にマイクを持つと「年内で引退することにきめました。年内、残り少ない関西の試合ですが、燃えつきるまで戦います!」とファンに引退を告げました。

過去には膠原病や肺がんにも

ダイナマイト関西は、デビューして10年の時に原因不明の病といわれている「膠原病」を発症。その後2012年には肺がんを患い、手術で左肺の一部を摘出しています。病気についてのインタビューでは「きつかったのは対抗戦終盤から発症した膠原病。もう20年の付き合いです。肺がんは1年休んだら元に戻れた。でも膠原病は手足がリュウマチみたいになって力が入らず、相手をロープにふろうとしても、抜けてしまったりしましたから」と語っています。


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関西自身が思う自分の「ベストバウト」は?

記者からの質問で「一番記憶に残っている試合は?」という問いに、ダイナマイト関西は「アジャコングからWWWA王者のベルトを取った試合(1995年8月30日の大阪府立体育会館での試合)です。JWPのころは(アジャコングとは)会話をするのも嫌でした。今でもどこか壁がありますから。」と発言しました。

引退後は何をする?

ダイナマイト関西の引退後はインタビューでもあまり明らかにはされていません。京都出身の関西さんは、2010年に「京都のお好み鉄板ダイニング ダイナマイト関西」というお店をオープンしています。店舗展開を広げていき、実業家として活躍したいなとか、若手の女子レスラーを育てて、OZアカデミー(現在ダイナマイト関西所属の団体)に殴り込みさせようか?とか、結婚?などいろいろな噂があります。

最後はお前しかいない

ダイナマイト関西は2016年11月13日横浜文化体育館で20年ぶりに同期の尾崎魔弓とタッグを組み試合に勝利しました。試合後マイクを取り「決めました。最後に俺とやるのはお前しかいないと思う。この30年、一緒にやってきたお前に最後をみとってほしい」と最終戦の相手に尾崎魔弓を指名。この言葉に尾崎も「やろう!30年たった今を、皆に見てもらおう!」と応えました。共に1986年のジャパン女子デビュー組。ダイナマイト関西の最終戦、超満員の後楽園で何が起こるのか?見てまいります!


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※追記※

12/11日、無事にダイナマイト関西選手の引退試合を見てきました。30年来のライバルであり親友でもある尾崎選手との壮絶な試合に感動し。その後のセレモニーでのお互いが手紙を読み合い、涙しました。女子プロレスが今後、また盛り上がりを見せることを願いながら、引き続き応援していきたいと思いました。

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